100歳で亡くなった祖母が最期にみせてくれたもの

エッセイ的なもの

こんにちは!

今日は、100歳で亡くなった祖母の話を少し。

母方の女性は長生き

私は、子どもの頃から、父方とも母方とも、祖父母と暮らしたことがありません。母方の祖父母の家には、夏休みや正月などよく泊まりで遊びにいっていました。

と言っても、(母方の)祖父母の家の方が都会なので、田舎に帰省する感は全然ないんですが・・・笑

今日は、そんな母方の祖母の話です。

祖母の母(私の母の母の母。笑)は、103歳で、私が中学1年生の時に亡くなりました。

私から見たら、曾祖母です。。私の母から見たら、祖母になるわけです。母を含めて、たくさんの孫が葬儀に参列し、孫が40人ぐらいいたらしいです。おそろしや。

ちなみに、曾祖母は、毎日、養命酒を愛飲していたそうです。長生きしたい方は、ぜひ養命酒をお試しください。

曾祖母が、健康に103歳まで生きまして、それを見た祖母は、

「私も、100歳まで生きる!」と宣言していました。

戦争も経験し、祖父母のおうちは、阪神淡路大震災で全壊していますので、そんな命からがらの経験をしたから、この先、世の中がどうなるのか見届けてるんだ!っていうことだそうです。

また、祖母は、教育熱心だったそうです。6人子どもを産み、母はその6人兄弟の末っ子です。PTA活動にも積極的で、PTAの役員を引き受けて、しょっちゅう学校に出入りしていたという話はよく聞きます。

祖母の妹さん曰く、結婚前は、びしっとスーツを着て、働きにでていて、かっこよかったわよーと言っていました。英語も、勉強していたそうです。

祖母が、90歳、95歳と歳を重ねて、老人ホームにはいり、なんだかんだと元気だったので、

間違いなく100歳まで生きるね!と母と安心していました。むしろ、母や母の兄弟たちのほうが、看取れるんだろうか・・と心配になるほど。

それが、99歳のある日、入居していたホームでトイレに行こうとして、躓いて、脚もぶつけて顔面もけがをしてしまったんですね。

そこから、ほんとに一気に祖母は具合が悪くなってしまいました。入退院をくりかえし、あと数ヵ月で100歳だよ、という時にお見舞いにも行きましたが、ほんとに痛々しくて、みていられなかったです。

100歳の誕生日の少し前に、緊急入院をし、常に誰かが付き添っている状態でした。

余裕で100歳、生きるだろうと思っていた祖母が、ずいぶん具合が悪くなり、100歳のお誕生日の1週間前にもお見舞いに行き、「来週、お誕生日お祝いしようねぇ」などと母と声をかけていました。ただ、かなり状態は悪かったので、いつどうなってもおかしくないという感じでした。

結果、祖母は100歳になって、翌日なくなりました。

享年100歳

100歳を無事迎えられたのは、入院先の先生が相当気を配っていてくださっただろうと思いますが、

大人になると、自分で決めたことがなかなか実行できなかったりして、決めたことを実現することの大変さや難しさを知ると思います。

まして、寿命なんて、自分の意志ではどうしようもないこと。

それを、ちゃんと100歳まで生きて亡くなった祖母は、ほんとにすごい人だなと思いました。

また、生前、「勉強とお仕事を大切にしないといけない。」という理由で、自分の葬儀には、孫、ひ孫たちは、仕事、学校を休んでまで参列しないようにと言っていたそうです。

祖母は、金曜日の明け方に亡くなり、金曜の夜通夜、土曜日に葬儀を行ったので、孫も、ひ孫も会社や学校を休まずに参列できました。なんか、そんなところも、祖母らしくてすごいな、と思います。

最期に、祖母にすごいものを見せられたな、と。亡くなって5年立ちますが、今でも私の中の偉大な人です。

 

コメント

  1. KAN より:

    アメブロのKANです。
    こんばんは!
    こちらのブログもちょくちょく拝読させてもらってます。

    素敵な曾おばあ様だったのですね。
    そのルーツがみかんさんだったり、お母さまにもあるんでしょうね♪