こんにちは!
プラハで一番、観光客が訪れるところと言えば、プラハ城でしょう。
ガイドブックでみると、とても広くて、これは、、、個人で行って楽しめるものだろうか・・と
一抹の不安が。。。
結局、旅のはじめに、プラハの市街地半日ツアーに参加して、街の概要や歴史を聞いてから、あとは自由に散策しようということになりました。
この作戦が、大成功!
日本人のベテランガイドさんのお話がおもしろくて、歴史を知らずにただぼんやりと景色を眺めているだけより、その背景になった出来事などを知ると、旅の楽しさが、何倍にも膨らみました。
今日は、そんな現地のツアーについて紹介したいと思います。
はじまりは、プラハ城
私が参加したツアーは、新市街で集合し、そこからガイドさんと一緒に
トラムに乗り、プラハ城へ向かいます。
プラハ城への入場は、セキュリティチェックを受ける必要があり、
団体の方は、結構並ぶ感じでした。
私たちは、私たち2人とご夫婦の2組+ガイドさんだったので、すいているチェックの方で
さらっと入ることができました。
(時と場合によりって感じみたいです。チケットセンターがオープンする前に入ることができました。
個人で行かれる方は、入場で並ぶかも?と参考になさってください。
大陸団体とバッティングすると、結構大変そうでした・・・)
マップでの上のほう、北門から入りました。
ガイドさんが、チケットを買うのに並んでくださっている間に、
衛兵の交代を観られたリ、
ウェディングフォト撮っている場面に遭遇できたり
(いい感じに、ピントが・・・)
いいですよね~。
海外ってこういう場所だけでなく、国立公園(超自然の中)でウェディングの写真を
撮っていたりされますね~。
プラハ城の一番の見どころ「聖ヴィート大聖堂」
プラハ城は、9世紀にボジヴォイ王が建てた城に始まり、14世紀のカレル4世の時代にほぼ現在の形が整えられました。
16世紀末にハプスブルク家のルドルフ二世がプラハに宮廷を置いたことで城は栄え、全盛期を迎えます。
1918年にチェコスロヴァキア共和国が成立すると大統領官邸となり、現在も建物の一部は大統領府として使用されています。
大統領がいる時は、旗が掲げられています。
↓わかりにくいですが、ちろっと旗があがっておりますので、いらっしゃいましたね、この日は。
プラハ城の中で、最も人気があるのが、「聖ヴィート大聖堂」です。
半分ルネサンス、半分ゴシックな大聖堂のワケ
926年、ヴァ―ツラフ一世によって創建された円形の教会は11世紀にロマネスク様式に建て替えられました。
現在の大聖堂は14世紀、カレル四世によって建設が始められました。
はじめに、東側半分が完成しましたが、その後フス派戦争によって工事は中断し、
西側半分は19~20世紀にかけて建てられました。
なので、東側と西側で建築様式が異なっており、
よく見ると、内部も古さも違うのがわかり、興味深いです。
死後、チェコの守護聖人として祀られたヴァ―ツラフ一世が着手した教会は、1000年の歳月をかけて完成したことになります。
ヴァーツラフ1世はチェコにキリスト教を広めようとしましたが、これに反対する弟とその家臣に暗殺されます。
有名なステンドグラスのあのサインは、、、
聖ヴィート大聖堂といえば、ミュシャのステンドグラスが有名です。
この頃、既に成功をおさめていたミュシャは、無償でステンドグラスの作画を行っています。
下の方に、「BANK」の文字があると思います。
これは、製作にかかる費用を銀行がだしているというスポンサーの印だそうです。
真ん中に描かれている男の子(左に祖母)は、ヴァ―ツラフ一世を描いているのですが、
モデルは、ミュシャの息子だそうです。
(いくら著名な画家といえ、そんなこと、許されるんやって思ってしまいますが)
美しいバラ窓も
他にも、
火事?などを描いたステンドグラスがあり、
これは、火災保険などを主に扱う保険会社がスポンサーになっているなどで、割と現実的なエピソードですね。
ただ眺めているだけだと、「あぁ、綺麗だわ~」だけで終わっちゃうんですが、
色々、エピソードなどを交えながらガイドさんにお話をきけると、楽しさが増します。
ヤン・ネポムツキーの棺と口の堅さ
ヴィート大聖堂の中に、「ヤン・ネポムツキ―」の墓があります。
なんと、2トンの銀が使われています。
このヤン・ネポムツキ―さんも、聖人になられています。
ヤンさんといえば、「舌」が象徴的なんですが、
その理由が説明する絵画があわせて展示されています。
これは、
①王妃がヤン・ネポムツキ―に、懺悔をしている
②そのことを知った王が浮気でもしているのかと、ヤン・ネポムツキ―に問いただすも、
ヤン・ネポムツキ―は、王妃の秘密を守り、王の怒りをかい、
③橋から投げ落とされる
みたいなことが一枚の絵に記されています。
この投げ落とされた時に、川から5つの星が浮かび上がったということで、
ヤン・ネポムツキ―の像には、頭の上に、5つの星があります。
また、その後、遺体を改修し、ずいぶんあとに調査したところ、
舌が確認できたとかなんとか、
というわけで、「口の堅さ=舌」にちなんだのか、
昔は、「これが、ヤン・ネポムツキ―の舌だ」と公開されていたそうです。
(それ、ほんまに、舌なんか・・??っていうのは、まぁ・・・聖人ですから)
30年戦争はじまりの窓
現在、大統領府となっているのは、18世紀にマリア・テレジア時代につくられた新宮殿で、
旧王宮には、ヴラディスラフホールと呼ばれる大きなホールがあり、
15世紀にこのような無柱の大空間が作られたのは画期的ということです。
※旧王宮は、写真撮影有料なので写真がありません。お金払っても、撮ってくればよかったです。。。
この旧王宮に、なんでもない普通の窓なんだけど、
みんなからとっても注目されている窓があります。
これが、プラハ窓外放出事件=30年戦争のきっかけとなった窓で、
ヨーロッパの歴史の教科書には、必ず載っているということで、
とても有名な窓です。
この事件の経緯は、プロテスタント教徒への締め付けが厳しくなり、
これを不満としてプロテスタントの貴族たちが
皇帝(カトリック)の代官がいるプラハ城へ詰めかけて、
政務官2人と書記官を窓から投げ落とした窓です。
で、そこまでして、その後、どうなったかガイドさんにきくと、
この投げ落とされた人たちは、命拾いして、ウィーンに戻り、
ことの顛末を皇帝に報告→ウィーンからプラハに軍が送られ、
この時のプロテスタントの首謀者は、処刑→数日で降伏
というわけで、
その後、30年、ヨーロッパで繰り広げられる
プロテスタントカトリックの宗教戦争のはじまりの地の割に、
チェコは即刻、降伏したという
のには、ほんとびっくりです。
そうして、これまでプロテスタントだった人たちは、教会へも通えずに、自宅でひっそりと祈ることにしかできず、
宗教的なイベントごとも行えなくなり、
宗教が自由になった時には、若い人たちには、
宗教の習慣がなくなっていたため、ヨーロッパでは珍しく、チェコは無宗教の人たちが多い国となっているそうです。
カレル橋の聖人たち
カレル橋には、30体の聖人が置かれています。
中でも、人気なのは、先ほどの
ヤン・ネポムツキ―の像です。
台座のところ、触るとよいらしく、皆さん、あやかって 色変わっています。
聖人というのは、それほどまでに特別な存在なんですね。
で、ヤン・ネポムツキ―が投げ落とされたというところが、コチラ
おじさんがいいモデルになってくださっています。
とにかく、カレル橋=ヤン・ネポムツキ―にあやかる
みたいなイメージが濃厚でした。
30体あるのに・・・笑
このヤン・ネポムツキ―については、面白いお話がありますので、また紹介しますね。
塔にあがって眺めるカレル橋がおススメ
カレル橋の塔には、上がることができます。(有料)
橋の両端に塔はあり、どちらも登ることができます。
写真をとることを考慮するなら、逆光にならないかを考えないといけませんが、
旧市街側の橋塔から写真をとると、
カレル橋とその向こうにプラハ城を一体的に眺めることができます。
プラハへ行く前に、この景色をみることをとても楽しみにしていたので、
感無量でした。
ツアーで教えてもらった写真スポットは、川の対岸からプラハ城をとれる
ところです。
スマホでこの写真撮れたので、満足です。
市街地ツアーでは、プラハ城→カレル橋のあと、旧市街を散策して、
市民会館あたりで解散となりました。
旧市街でおススメのビアホールやランチスポットなども教えていただけて、
充実したガイドツアーでした。
プラハ城から、カレル橋、市民広場まで、ずっと歩いて回りながら、ガイドさんの話をきくツアーがおすすめです。
はじめは、そんなにずっと歩きづめで大丈夫なんだろうかと思いましたが、
プラハ城からカレル橋は下りですし、6月で結構暑かったんですが、日陰を歩けば、
全然大丈夫でした!
郊外へ行くツアーはさくっと決めたんですが、市街地ツアー選びを後回しにしていたら、
私たちがいく日程では、がっつり、ツアーの催行不可となっていたりと、慌てました。
旅の大まかなスケジュールが決まれば、あまり先延ばしにしない方がいいな、というのが教訓です。
市街地ツアーできいて「へぇえええ」となったお話をいくつか紹介しましたが、他にも色々な
エピソードを聞くことができました。
是非、ベテランガイドさんのお話を聞いて、プラハの旅を楽しんでいただけたらなと思います。
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